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日本海海戦(東郷ターンは丁字戦法ではなかった)

 2017/02/10 団塊の世代一代記
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日本海海戦とは

日本海海戦とは、日露戦争中の日本・連合艦隊とロシア・バルチック艦隊との両艦隊決戦をいう。連合艦隊はこの近代最初の大海戦に完勝した。そしてその勝利は世界中を驚かすとともに、日露戦争の動向を決するものとなった。

海戦は”対馬海峡”の沖ノ島北方で始まった。連合艦隊司令長官・東郷平八郎海軍大将は、敵艦隊が対馬海峡を通過するという正確な情報を入手することができた。そして、その情報に的確に対応することができた。連合艦隊が日本海海戦に勝利することができた最大の要因はここにある。

なお、連合艦隊の敵前大回頭(東郷ターン)について、従来から「丁字戦法」だとされていた((日本海海戦(東郷ターンとは何か)Akimasa Net))が、それを否定する新しい見解が示されている(後述)。

バルチック艦隊はどこを通ってウラジオストックを目指すか

1905年(明治38)5月下旬
いよいよバルチック艦隊がすぐそこまでやってきた!!!
朝鮮半島にあって連合艦隊司令部は決断を迫られていた

果たして、バルチック艦隊はどこを通ってウラジオストックを目指すか?
最短距離の対馬海峡か、あるいは太平洋を迂回して津軽海峡から日本海に入るか、はたまた宗谷海峡まで大回りするか?

バルチック艦隊のロシア本国出撃時点から、日本側は可能な限りの監視体制を取っていた。ところが最後の最後で、フィリピンのバシー海峡通過後の艦隊の行方を見失ってしまった。やはり北方へ向かったのであろうか。

実はこの時既に、連合艦隊では北進の「密封命令」が交付(5月24日)され、開封(実行)される寸前になっていた。東郷自身は、「敵艦隊は津軽海峡を通過する」と読んでいたのである。

もしその命令が実行されていたならば、がら空きの対馬海峡を”敵”艦隊は悠然と通過してウラジオストックへ入港できたであろう。そうなれば、日露戦争の結果すら変わっていた可能性がある。

しかし、5月25日に三笠艦上で開かれた軍議において、少数派による必死の進言があり、今しばらく朝鮮半島に留まることとなる。「27日午後までお待ち願えれば万全」、少数派の第二艦隊司令官・嶋村速雄少将は答えている。

“対馬海峡”を通過すること間違いなし

5月26日、「バルチック艦隊は最短距離の”対馬海峡”を通過すること間違いなし」とする情報が届く。続いて翌27日、”敵艦見ゆ”との警報に接し、連合艦隊は直ちに出動した。決戦場は”沖の島附近”となるだろう。

いよいよその時である。北北東に向かう敵艦隊に対して、連合艦隊は、その前方から南南東に向かって近づいていた。敵の旗艦スワロフとの距離8000米になった時、 連合艦隊は、旗艦三笠を先頭にして<左>へUターン(取舵一杯)、敵艦隊の北側に回りこんだ。

敵前大回頭、世にいう東郷ターンである。これは、敵と併航しながら戦おう(併航戦・へいこうせん)とするための作戦であり、決して敵の頭を押さえ込む形の「丁字戦法」ではない。

いずれにせよ、回頭開始直後はバルチック艦隊にとっては砲撃の絶好のチャンスであった。しかし、弾は当たらなかった。やがて連合艦隊の猛攻が始まり、勝負は最初の30分間でほぼ決着した。

兵の熟練度が違っていたのが最大の原因とされている。その後の夜戦も含めた翌日にかけての第10合戦までで、バルチック艦隊は壊滅した。

注:資料によっては戦闘経過等の時刻に多少の食い違いがみられる。

「丁字戦法」は使われなかった!

示唆に富んだ興味深い本が出版された。

半藤一利・戸高一成著『日本海海戦 かく勝てり』PHP研究所(2004年)
東郷平八郎の肉声、「連合艦隊解散の辞」朗読CD付き

本書は次のように述べている。すなわち、

日本海海戦では「丁字戦法」は使われなかった。それは当日荒天のため幻に終わった”連繋機雷”投下という機密作戦をひた隠すために創作されたものである。今年は日露開戦ちょうど100年目、驚愕の事実をここで明らかにする。

立場を超えて読むべき基本図書といえる。

丁字戦法とは

丁字戦法とは、一直線に突き進んでくる敵艦隊の頭を抑えるように、その前方を横縦隊となって横切る形を取ることをいう。この戦法の利点として、敵の艦隊は前方の砲しか戦闘に参加できないのに対して、味方の艦隊は前後にあるすべての砲が発射可能になる、とされていた。

連合艦隊が「丁字戦法」を初めて実戦で使用したのは、黄海海戦(明治37年8月10日、旅順沖)の時である。ロシア太平洋艦隊に対して、練りに練った見事な「丁字戦法」をとり、そして見事に逃げられてしまった。

「丁字戦法」は、戦闘意欲旺盛な敵が決戦を挑んでこないかぎり成立しない戦法だったのだ。この時の敵艦隊は戦意がまるで無く、一列になって進む連合艦隊の最後尾を、いとも簡単にすり抜けて逃げ出してしまった。

逃げる気になれば簡単に逃げることができる。「丁字戦法」の弱点が見事に露呈した。これでは今後の作戦には使えない。直ちに「丁字戦法」の練り直しが始まった。最終的に決定した「対バルチック艦隊戦策」(明治38年5月17日作成、19日配布)では、「丁字戦法」の影はほとんど残っていなかった。

東郷ターン(敵前大回頭)の意味

明治38年5月27日(1904年)14時05分、いよいよ決戦の時来る。

北北東に向かう敵艦隊に対して、連合艦隊は、その前方から南南東に向かって近づいた。敵の旗艦スワロフとの距離8000米になった時、旗艦三笠の艦上で、加藤友三郎連合艦隊参謀長は大声で命じた。「艦長、<取舵>一杯ッ」。東郷平八郎連合艦隊司令長官は無言で会心の笑みを浮かべつつうなずく。すべて作戦どおりである。

敵前で<左>へUターンして、敵と併航しながら戦おう(併航戦・へいこうせん)というのである。決して敵の頭を押さえ込む形の「丁字戦法」ではない。なおこの時、連合艦隊は 北北東に向かう敵艦隊の北側についたので、使用するのは右舷砲ということになる。

天気晴朗なれども波高し

実はこの時、「丁字戦法」に取って代わるべき重要な極秘作戦が用意されていた。決戦前に水雷艇隊を出撃させ、敵艦隊前方に連繋機雷を敷設しようという奇襲作戦である。しかし当日は低気圧通過後でまだ波が高かった。300トンクラスの水雷艇には耐えられないかもしれない。

当日朝、連合艦隊司令部から軍令部に向けて次の電報が発信された。

敵艦見ゆとの警報に接し聯合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす(暗号)
本日天気晴朗<なれども>波高し(平文)
平文は、主席参謀・秋山真之中佐が付け加えたものである。

その心は、荒天で連繋機雷作戦は多分できませんよ、と軍令部に暗に知らせるためであったのだろうか。秋山参謀は苦悩していた。平文とはいえ深い意味が込められていたのかもしれない。

午前10時ごろ、東郷長官はそれまで艦隊に付いてきていた水雷艇を退避させた。こうして連繋機雷作戦は幻に終わり、太平洋戦争惨敗に至るまで軍機として取り扱われることになる。

なお、暗号部分を一字一句正確に翻訳すれば、次のようになるという。
敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃沈滅せんとす。

東郷元帥詳伝(伝記)

大正10年、小笠原長生によって東郷元帥の伝記が刊行された。小笠原は日露戦争中は軍令部参謀であり、後に軍令部の戦史編纂に関係した。東郷元帥の私設副官ともいうべき人物である。

この伝記のなかで東郷元帥は神になった。東郷ターン(敵前大回頭)は神話となり、真の秘密である連繋機雷作戦は完全に抹殺された。日本海海戦はこの本によって創り上げられた壮大なドラマだと言えるだろう。

公刊戦史全4巻(海軍軍令部)には、「丁字戦法」を黄海海戦で実施したと書いてあるが、日本海海戦においては一言も言及していない。また、同海戦の合戦図を見れば、「丁字戦法」が使われなかったことは明白である。

勝って兜の緒を締めよ

日本海海戦において、日本人将兵はそれぞれの持ち場に応じた存分の働きをした。そして思いもかけないようなパーフェクトな勝利を得た。こうしてバルチック艦隊を壊滅せしめた日本海軍は得意の絶頂期を迎えることになる。

日露戦争自体は、アメリカの仲裁によって、日本が勝ったという形式で講和が成立した。いってみれば”やっとこさ得た勝利”である。これを完勝に見せかけた罪と罰は大きい。失敗は全て無かったことにされた。戦訓を生かす組織を作り上げることができず、結局太平洋戦争によって日本海軍は壊滅した。

東郷平八郎は、12月21日連合艦隊の解散にあたって、「連合艦隊解散の辞」を読み上げた。そこで彼は“天佑神助”を強調し、そして最後に述べている。”古人曰く勝て兜の緒を締めよと”。分かっていたのである。

極秘明治三七・八年海戦史、海軍軍令部編纂、防衛研究所図書館蔵
事実に基づく海戦史(全150巻)であり一切の脚色を否定した内容となっている。戦前は極秘の取り扱いを受け、戦後奇跡的に一組残っているのが発見された。しかし、戦後においてもその内容は十分に検討されているとは言い難い。

2004/05/01(土)、大幅追加
2000/05/07(日)、初出

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