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白神山地(世界自然遺産)のブナ原生林

 2017/03/17 団塊の世代一代記
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白神山地(しらかみさんち)とは

白神山地とは、青森・秋田両県境にまたがる山岳地帯で、そこには世界最大規模のブナ原生林が広がっている。その核心部分である青森・秋田県境尾根を貫いて走る”青秋林道”の建設工事が、1982年(昭和57)に青森・秋田両県側から着工された。

この林道が建設されれば、白神山地の自然(ブナ原生林など)は破壊されてしまう。全国的な自然保護運動の高まりの中で、この広域基幹林道の建設は凍結(1987年)され、白神山地は後に自然環境保全地域指定を受ける。そのことがキッカケとなり、白神山地は屋久島とならんで1993年(平成5)12月、日本で初めてのユネスコ世界”自然”遺産に登録された。

なお、白神山地13万ヘクタールのうち、世界遺産登録区域は、16,971ヘクタールで、青森県側の面積はそのうちの約4分の3(12,627ヘクタール)を占めている。 そして、残りの約4分の1は、すべて秋田県山本郡藤里町に属している。

青秋林道建設の見直し発言(北村正哉・青森県知事)

世界最大規模といわれる白神山地のブナ原生林を守ったのは、北村正哉・青森県知事の決断、すなわち「青秋林道建設の見直し発言」である。

そして、この知事発言を得る直接の原動力となったのは、赤石川源流(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町-あじがさわ-)の水源涵養保安林解除に反対して提出された多数の〈異議意見書〉であるといってよいだろう。

〈異議意見書〉の署名を呼びかける集会は、赤石川流域の全19集落で開かれ大成功を収める。赤石川流域の住民は、過去の経験から、森を守ることは川を守ること、そして海を守ることにもつながる、ということをよく知っている人たちであった。

地元の盛り上がりと共に、全国から集まった〈異議意見書〉は1万3千余通にのぼった。日本の林政史上、未曾有の出来事とされる膨大な数の意見書が、北村正哉・青森県知事の判断に強い影響を与えたことは明白である。なお、〈異議意見書〉提出のアイデアは日本自然保護協会から授けられた。

赤石川と青秋林道、概念図

赤石川と青秋林道

佐藤昌明(2006年)P.75より(転載承諾済)

佐藤昌明著「新・白神山地-森は蘇るか」緑風出版(2006年)

河北新報社の佐藤昌明記者は、1983年春から1988年春までの五年間、青森市で勤務していた。そしてその間、1987年11月には、北村青森県知事の「青秋林道建設の見直し発言」ももちろん取材している。佐藤記者は、”青秋林道”建設反対運動の重要局面すべてに立ち会ったただ一人の報道関係者であった。

佐藤記者は、2006年に佐藤昌明著「新・白神山地-森は蘇るか」(緑風出版)を出版している。1998年版(同出版社)の改訂新版であり、それを読むと、全編にわたって見直しが行われていることがわかる。

さらに、新たな内容として「入山規制に対する批判、青森県知事の林道中止の政治決断の真相、自然を蘇らせるブナ再生事業など」といった項目も盛り込まれている。

その中で特に、「およそ20年目にして初めて明かされた青森県知事による「青秋林道建設の見直し発言」の真相」は、非常に興味深くかつ重要な内容を含んでいる。

本書は、「自然保護とは何か、自然と人間との関係はどうあるべきか考える」ために欠かすことのできない書籍の一つである。なお、新旧著作で採用されている写真・イラストはすべて筆者自身の手によっている。

世界遺産登録と入山規制

世界遺産条約とは、顕著な普遍的価値を有する文化遺産および自然遺産を、国際的な協力・援助のもとに保護していくことを目的に、1972年(昭和47)のユネスコ総会で採択されたものである。

日本の条約批准は1992年(平成4)である。その翌年12月9日、自然遺産として、白神山地と屋久島、また、文化遺産として、法隆寺地域の仏教建造物(奈良県生駒郡斑鳩町)と姫路城(兵庫県姫路市)が、日本で初めて世界遺産に登録された。

さて、白神山地では、世界遺産登録後のブナ原生林保護のあり方をめぐって、今なお混乱が続いている。混乱のもととなっている「入山規制」を含む管理計画策定には、一人の官僚が深く関わっている。秋田県側の「原則入山禁止」、青森県側の「ルート指定の許可制入山」制度を実現させた橋岡伸守氏である。

橋岡伸守氏(林野庁OB)は、秋田営林局計画課長の職に続いて、青森営林局森林管理部長を最後に退職、そのまま青森市内の林業コンサルタント会社に再就職した。そして、2007年5月24日(木)、 東京地検特捜部によって、緑資源機構幹部らとともに逮捕された。容疑は、独立行政法人「緑資源機構」(農林水産省所管)が発注した林道整備のコンサルタント業務をめぐる談合事件に関する独禁法違反(不当な取引制限)である。

白神山地に入山規制を導入した人物が、刑事事件で逮捕された。では、そのような入山規制とは、一体何なのだろうか。

〈青秋林道〉(広域基幹林道青秋線)
秋田県(八森町~藤里町)~青森県(鯵ヶ沢町~西目屋村)
総延長28.1km(のちルート変更により29.6kmに延びる)
総事業費約30億円(計画当初)

白神山地の自然を守るためには、”青秋林道”(1982年8月着工)は絶対に阻止しなければならない。こうして青森・秋田両県の自然保護団体が〈独自〉に立ち上がって活動を開始した。そして、東北地方を始め、全国各地の自然保護団体、及び一般市民の支持と協力を得て運動は成功した。(1990年、林野庁が打ち切り決定)

日本自然保護協会(沼田真会長)は、1990年に世界遺産条約の早期批准と、白神山地の自然遺産登録を求める意見書を内閣総理大臣に送り、これが契機となって白神山地の自然遺産登録が実現した。それは、”青秋林道”建設阻止運動に参加した多くの人たちにとって、思いもかけないプレゼントとなった。

しかし、せっかく世界遺産に登録された白神山地の保護のあり方をめぐって、自然保護活動は、その後分裂してしまっている。「入山規制問題」が原因である。ある人は、自然保護のためには核心地域への立ち入りを全面的に禁止すべきだという。あるいは、かつてのマタギなどのように、そこで生活の糧を得る人々がいる、そういう人たちまで規制するのはおかしいなど、様々な意見が出ている。

当Web管理人としては、マタギの後裔である吉川隆さんの意見に強く引かれる。吉川さんは、青森県鯵ヶ沢町の赤石川源流に住んでおり、一年のうち半分は白神山地に入って、自らクマ撃ちや山菜取りをしているという方である。

吉川さんの発言を聞いてみよう。
「世界遺産とは観光資源ではないはずだ。道路もいらない。便利さも要らない。今のままでいいではないか。山は誰でも入れる。善人でも悪人でも誰でも入っていい。山を見たかったら、汗を流して入ればいい。遭難するしないは、本人の能力の問題だ」佐藤昌明(2006年)p.97

林道建設反対運動は、青森県側と秋田県側でほとんど同時に、かつ独自に進められた

1978年(昭和53)12月06日
「青秋県境奥地開発林道開設促進期成同盟会」(野呂田芳成会長)結成
1981年(昭和56)04月02日、林野庁
“青秋林道”の路線採択を決定
1982年(昭和57)04月05日、林野庁
林道事業の実施計画を承認
1982年(昭和57)08月01日(秋田)、12日(青森)
“青秋林道”(秋田工区、青森工区)着工
1985年(昭和60)06月27日、秋田県森林土木課長ら二人
青森市を訪れてルート変更説明(秋田県藤里町を避けて、秋田県八森町から直接青森県鯵ヶ沢町の赤石川源流に入ることになった)
1986年(昭和61)11月、秋田県側工事ストップ
1987年(昭和62)06月08日、青森県
「赤石川源流の保安林解除に同意する意見書」、青森県営林局へ提出
1987年(昭和62)10月19日、青秋林道に反対する連絡協議会
鯵ヶ沢町一ツ森地区で、「赤石川を考える会」を開催
赤石川源流の水源涵養保安林解除に反対する異議意見書の署名呼びかけ
その後一か月足らずで、赤石川流域の上流から下流まで、全19集落で集会
1987年(昭和62)11月05日、青秋林道に反対する連絡協議会
異議意見書の第一次集計分を青森県農林部に提出
1987年(昭和62)11月06日、北村・青森県知事
「青秋林道建設の見直し発言」
1987年(昭和62)11月13日、青秋林道に反対する連絡協議会
異議意見書の第二次集計分を青森県農林部に提出
提出期限は11月14日であった
1990年(平成02)03月18日、青森営林局
白神山地森林生態系保護地域の最終設定案を発表
1990年(平成02)03月29日、林野庁
白神山地森林生態系保護地域設定案を承認
“青秋林道”の打ち切りが確定する
1990年(平成02)06月10日、青秋林道に反対する連絡協議会
解散会(弘前市内)、この席で、沼田真・日本自然保護協会会長の発言あり、白神山地を世界遺産に推薦する
1993年(平成05)12月09日、世界遺産委員会
白神山地の世界自然遺産登録を決定する
“青秋林道”建設反対運動では、青森県側と秋田県側でほとんど同時に、かつ独自に活動が進められた。したがって、それぞれの時期に、どちらの県側の誰がどの様な役割を果たしたのか、正確に把握しておかないと正しい全体像は見えてこない。

青森県側の活動の中心となったのは、根深誠さん(弘前市郊外)といってよいだろう。これに対して、秋田県側の活動の中心となったのは、鎌田孝一さん(カメラ店経営・藤里町)である。

ただし、秋田県側の工事がストップ(1986年11月)した時点で、秋田県側の実質的な活動は終了したことになる。それ以降、1987年11月6日の北村正哉・青森県知事による「青秋林道建設の見直し発言」を得るまでの闘いは、すべて青森県内で行われた。つまり、”青秋林道”の建設を完全に阻止したのは、青森県側の活動である。

根深誠さん(青森県)

1947年(昭和22)、青森県弘前市生まれ
弘前高校から明治大学へ進学、高校大学を通じて山岳部所属
明大OBの故植村直己氏の指導も受ける、エベレスト遠征経験あり
植村直己アラスカ・マッキンリー遭難捜索隊の一員

1982年(昭和57)07月19日
林道建設中止要望書を青森県に提出
青森県自然保護の会と日本野鳥の会弘前支部の連名
1983年(昭和58)04月02日
「青秋林道に反対する連絡協議会」結成
青森県内各地の自然保護団体および山岳団体参加(10団体)
これ以前に、日本自然保護協会の沼田真理事長(のち会長)と面談実現
1983年08月25日~27日
自然保護議員連盟の視察団(団長・岩垂寿喜男衆議院議員)
青森、秋田両県を訪問、白神山地の現地を見る
無名の白神山地を一躍クローズアップさせることに貢献

鎌田孝一さん(秋田県)

1930年(昭和05)、岩手県稗貫郡大迫町生まれ
1960年(昭和35)12月25日、藤里町にて「カマタ写真店」開店
1973年(昭和48)2月、秋田自然を守る友の会設立

-1982年(昭和57年)-

5月27日、青秋林道中止と、粕毛川源流部の保全についての要望書
秋田県知事、および県の林務部、生活環境部に提出
秋田県野鳥の会と秋田自然を守る友の会の連名
10月26日~27日、初の国会陳情、大石武一会長(自然保護議員連盟)など

-1983年(昭和58年)-

1月22日、白神山地のブナ原生林を守る会設立総会
秋田県内の自然保護団体の横の連絡組織が始めて成立する
総会に引き続き、根深誠代表(白神山地の自然を守る会)などの記念講演
8月下旬、自然保護議員連盟の林道視察(団長・岩垂寿喜男衆議院議員)
青森側の視察終了後、秋田側へ廻る。

-1985年(昭和60年)-

1月30日、林野庁長官との面談実現
白神山地保護の立場から、青森側の根深誠代表とともに出席する
6月15日~16日、ブナ・シンポジウム開催(秋田市)、日本自然保護協会主催
前年の11月から開催に向けて準備に奔走する。当日は、自然保護運動に取り組む全国各地の人たちや学者、それに林野庁からも職員が出席した(参加者約600名)。 このシンポジウムを契機に、ブナ原生林保護運動は全国的に盛り上がっていった。

秋田工区のルート変更

1986年(昭和61)11月、秋田県側の工事はストップした。秋田県の八森町内を、同・藤里町に向けて北東に延びてきた林道は、藤里町手前で止まった。そして以後、そこから延伸することはなかった。

ところで、秋田県側で工事がストップする前年の1985年6月6日、秋田県はルート変更を決めている。最初の計画では、林道は秋田県側の八森町から藤里町を経て、青森県鯵ヶ沢町に入る、となっていた。それが、藤里町を通らずに直接鯵ヶ沢町とつながるように変わったのだ。

その結果、ルートは八森・藤里両町境の手前で八森町内を北上するように変更された。修正ルートは西側から北へ少しふくらんで回りこむ形となり、その分総延長は1.5km延びている。また、青森県鯵ケ沢町を通る部分が、2.7kmから3.7kmに増えた。

佐藤昌明(2006年)p.58は、この間の動きについて、次のように述べている。

青秋林道の秋田工区は、八森町からスタートした後、鎌田氏の住む藤里町の粕毛川の源流部に入る予定になっていた。ところが秋田県庁林務部は、ブナ・シンポジウムの開催時期の前後に、鎌田氏の批判を避けるかのように、藤里町に入る予定の青秋林道・秋田工区のルートを変更して、青森県側の鯵ヶ沢町の赤石川源流域へ付け替えた。

佐藤は、さらに改訂新版の「ルート変更」(P.99-106)で、なぜ秋田県側から青森県側へルートが変更されたのか、その経緯を詳しく述べている。

さて、このルート変更によって、秋田県藤里町・粕毛川最源流部の三蓋沢は破壊から免れることになった。しかし、今度は、新たに付け替えられた青森県鯵ヶ沢町の赤石川源流域を破壊するような形のルートになった。

1985年6月27日、秋田県林務部の職員が青森市を訪れて、ルート変更について説明会を開催した。なぜならば、この区間の工事主体は秋田県だからである。つまり、青森県側に入り込んで秋田県側の工事が行われることになる。しかし、赤石川の源流域から上流・中流域、そして下流域(日本海)まで、すべての流域を含む鯵ヶ沢町の住民には何の知らせも届いていなかった。

秋田県が、県境を越えて青森県内で工事を行うというのだ。いかにも不自然な話である。そのことが青森県側の住民感情に火をつけ、多数の異議意見書になって表れた。

異議意見書とは何か(最大の山場)

-1987年(昭和62年)-

春ごろ、日本自然保護協会
 保安林解除に不服がある場合、〈異議意見書〉を提出することができるとアドバイスする
6月8日、青森県
 「赤石川源流の保安林解除に同意する意見書」、青森県営林局へ提出
9月5日、10日、青秋林道に反対する連絡協議会
 鯵ケ沢駅前でチラシ約5,000枚を配布
9月27日、青秋林道に反対する連絡協議会
 鯵ケ沢町で「白神山地と地域を語る会」開催、西郡教組との共催
10月15日、青森県
 赤石川源流の保安林解除の予定告知(工事着工にゴーサイン)
10月19日、青秋林道に反対する連絡協議会
 鯵ヶ沢町一ツ森地区で、「赤石川を考える会」を開催
 赤石川源流の水源涵養保安林解除に反対する異議意見書の署名呼びかけ
 その後一か月足らずで、赤石川流域の上流から下流まで、全19集落で集会
11月5日、青森、秋田両県の自然保護団体代表5名
 異議意見書第一次集計分約3,500通を、青森県農林部長に提出
 青森側約2,000(そのうち、直接の利害者たる赤石川流域住民分700以上)
 秋田側約1,500
11月6日、北村青森県知事
 青秋林道建設の見直し発言、世論も林道凍結へ向って大きく傾く
11月13日、青秋林道に反対する連絡協議会会長ら代表4名
 第二次集計分を青森県農林部に提出
 総数(一次分と合わせて13,202通、赤石川流域住民分1,024通)
 これらの中には、当然全国から寄せられたものも含まれている
 なお、提出期限は11月14日であった

北村青森県知事の見直し発言が出るまでの経過

北村青森県知事の見直し発言が出るまでの経過を振り返ってみよう。

青森・秋田県境から青森県鯵ケ沢町内1.6km分の間の地域は、”水源涵養保安林”に指定されていた。したがって、林道建設工事を進めるためには、指定解除の手続きが必要である。6月8日、青森県は、「赤石川源流の保安林解除に同意する意見書」を青森県営林局へ提出した。

林道工事が遂に青森県側のブナ原生林核心地域に迫ってきた。しかし、「多くの犠牲を払って取り組んできたが、林道工事をどうやって止められるか、誰も分からなかった。先が見えず、みんな暗く、会合を開いても発言する者は少なかった」佐藤昌明(2006年)pp.59-60

そうした中で、日本自然保護協会から、保安林解除に不服がある場合〈異議意見書〉を提出することができる(森林法)、というアドバイスを受ける。 また、意見書提出の権利を持つのは、”直接の利害関係を有する者”であるという。ここで直接の利害関係者とは、工事予定箇所(赤石川源流部)の下流にすむ住民と考えるのが妥当なところである。

青森・秋田県境の二ツ森に端を発した赤石川は、北北東に向かって流れ、やがて日本海に注ぐ。この赤石川の源流部から、上流、中流そして下流と、流域全体をすっぽりと包み込んでいるのが鯵ヶ沢町である。町域は東西10km足らずだが、南北に約40kmと細長く延びている。この鯵ヶ沢町で林道建設反対の賛同が得られなければどうしようもない。

ところが、当時の青森県側の活動の中心は西目屋村であり、鯵ヶ沢町は全く手付かずで何のつても持っていなかった。そこでまず鯵ヶ沢駅前のチラシ配りから始めた。そして、この行動をキッカケに人の輪が広がり、急速に運動のエネルギーが高まって、遂に奇跡を呼び込んだ。

ルート変更(青森県鯵ヶ沢町民の判断)

住民集会で強調されたのは、ルート変更によって赤石川源流部が破壊される可能性が高まったという点である。そして、その変更は全く秋田県側の都合によるものであり、青森県側は工事区間をただ単に押し付けられた(費用負担は秋田県側)に過ぎない、ということが地域の住民感情を大いに刺激した。

赤石川流域の住民は、過去の経験から、森を守ることは川を守ること、そして海を守ることにもつながる、ということをよく知っている人たちであった。赤石川流域の全19集落で、青秋林道建設反対の〈異議意見書〉の署名を呼びかける集会が開かれ大成功を収める。

日本自然保護協会の果たした役割

運動の最大の山場となった〈異議意見書〉提出のアイデアを授けたのは、日本自然保護協会である。協会では、それ以前から青森側・秋田側に対して適切なアドバイスや協力を行っている。

例えば、鎌田孝一さん初の国会陳情では、自然保護協会の担当者が各方面への案内役を務めている。そして、その担当者は、その後すぐに白神山地へ向かっている。さらに、林野庁長官との面会も実現している。

自然保護議員連盟の林道視察(団長・岩垂寿喜男衆議院議員、当時自然保護議員連盟幹事長)は、当協会からの調査要請もあって林道計画の見直しを目的に行われたものである。その直前には、日本自然保護協会も現地調査を行っている 。

秋田市で開催した”ブナ・シンポジウム”(主催・日本自然保護協会)を契機として、青森・秋田両県の自然保護団体のみならず、東北地方ならびに全国各地の自然保護団体の支持と協力が得られ、林野庁の自然林保護政策を転換した結果として「白神山地」は保護された。

林道建設凍結決定後、日本自然保護協会が政府に世界遺産条約の早期批准と、白神山地の自然遺産登録を求める意見書を内閣総理大臣に送り、これが契機となって白神山地の自然遺産登録が実現した。

青森県の方々

工藤俊雄・青森県農林部長
ソフトランディング(軟着陸)の役割を果たした人物、と言われている

金入明義・自民党青森県連政調会長
北村知事からの直接指示を受けて、精力的な現地調査を行い、
青森県議会を林道凍結へ方向づける

参考資料

根深誠編著「森を考える」立風書房(1992年)
― 白神ブナ原生林からの報告 ―
根深誠著「白神山地 恵みの森へ」JTB(1995年)
佐藤昌明著「新・白神山地―森は蘇るか」緑風出版(2006年)
鎌田孝一著「白神山地に生きる」白水社(1987年)

2008/01/31、完成 (図版:赤石川と青秋林道、挿入)
2008/01/19、増補訂正開始
2005/03/01、細部修正
2005/02/02、決定稿
2005/01/30、完成
2005/01/29、初出


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