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広島県廿日市市(細見谷など)の植生

 2016/09/30 西中国山地(細見谷など)
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東アジアの植生は三つに分けられる

東アジアの植生分布は、長江(揚子江)流域を基点として、三つに大別できます。すなわち、常緑広葉樹林帯(長江流域を含んでその南側)、落葉広葉樹林帯(北側)、及び乾燥地帯(西側)の三つです。(佐々木高明『日本文化の基層を探る』p.53)

常緑広葉樹林帯は、ネパール・ヒマラヤの中腹から長江(揚子江)流域を経て西南日本に至る帯状の地域で、イネの運ばれて来た〈南からの道〉です。これに対して、落葉広葉樹林帯は、日本海を取り囲む地域で、東日本の縄文文化を支えた〈北からの道〉です。

つまり、東アジアの植生を二分する南北森林帯の境界線が、日本の本州を東西に分けていることになります。

照葉樹林帯(南からの道)

東アジアの常緑広葉樹林帯(暖温帯)のことを、特に〈照葉樹林帯〉と称しています。この地域が、アラカシで代表されるような照葉樹林(常緑のカシ類のほか、シイ、タブ、クス、ツバキなどのように葉の表面に光沢のある常緑樹)でおおわれているからであり、モンスーンの影響を受けて豊かな森林を形成しています。

佐々木高明は、照葉樹林帯の範囲について「ネパール・ヒマラヤでは高度一五〇〇メートルから二五〇〇メートルあたりにみられますが、そこからブータンやアッサムの山地、ミャンマー(ビルマ)北部を中心とする東南アジア北部の山地、さらに中国の雲南・貴州の高地をへて江南の山地に至り、海を越えて朝鮮半島南端部から西日本一帯をおおって本州の中部にまで達しています」(同上p.18)と述べています。

この照葉樹林帯を通って、古くから日本列島にはいくつもの農耕文化がもたらされました。イモ類の半栽培や水さらしの技術(縄文前期)、雑穀・根栽型の焼畑および陸稲、そして水田稲作(縄文晩期後半)です。

そして、これらと共に一連の文化要素がセットでもたらされました。その結果、照葉樹林帯にはモチの文化など共通する特有の文化要素が存在することになり、それらを照葉樹林文化と称しています。

ナラ林帯(北からの道)

佐々木高明は、日本文化の形成を考える時、照葉樹林文化という南からの文化に加えて、北からの文化にも注目すべきとして、ナラ林文化という仮説の枠組みを提示しています。

ナラ林文化の領域は、長江や淮河より北側の落葉広葉樹林帯にあります。『日本文化の基層を探る』p.53の図「東アジアの植生とナラ林文化・照葉樹林文化の領域」によれば、その範囲は、環日本海地域(朝鮮半島中・北部、中国東北部、ロシア沿海州、アムール川下流域、サハリン、北海道、東北日本)に加えて、華北一帯と読み取れます。

佐々木高明は、長江や淮河より北側の森林は、「主としてコナラ亜属(Quercus)の落葉広葉樹で構成されていますので、ナラ林帯とよぶことができますが、このナラ林帯はさらに二つに分けて考えるのがよいと思います」(同上p.54)と述べています。

すなわち、「淮河から遼東半島に至る、いわゆる華北一帯を占めているのがリョウトウナラ林」であり、「ハルビンと瀋陽をつなぐ線より東側は、(中略)モンゴリナラの分布域」となっている点に注意を促している。さらには、「沿海州からアムールの下流域までを含めて、広い意味のナラ林帯と考えておきたい」(同上p.54-55)としています。

廿日市市には照葉樹林帯とナラ林帯の二つがある

廿日市市の市域は、平成の大合併後、海抜ゼロメートル地帯の瀬戸内海から標高1,300m台の西中国山地まで広がりました。そして、山向こうの隣町匹見町(旧・島根県美濃郡)は、ここも同様に合併して島根県益田市となりました。つまり、瀬戸内海に浮かぶ宮島を擁する廿日市市が、日本海に面した益田市と、”西”中国山地で隣り合わせに並ぶことになったのです。

ところで前述のとおり、東アジアの植生を二分する南北森林帯(照葉樹林帯とナラ林帯)の境界線が、日本の本州を東西に分けています。

北に連なるナラ林帯は、細かく見ると、広島・山口・島根3県境尾根を中心とする西中国山地まで延びてきています。そしてそこが、落葉広葉樹林帯の本州西端部にあたっています。廿日市市吉和にある十方山・細見谷渓畔林は、その代表例であり「冷温帯落葉広葉樹林」で覆われた美しい水辺林となっています。

また、瀬戸内沿岸部は、南に連なる照葉樹林帯の領域となっています。その中でも特に廿日市市宮島町「厳島(宮島)」は、約6000年前に本土と分離して島となったため(「宮島の自然 地形・地質編」p.9)、照葉樹林帯の特徴をより良く残しているとされています。国指定の天然記念物「弥山原始林」(1929年指定)はその代表例です。

廿日市市役所(瀬戸内海)~益田市役所(日本海)の間は、直線距離にして約60kmくらいです。そして、廿日市市内の宮島~西中国山地間は直線距離約35kmくらいでしょう。たったこれだけの区間の同一市内に、東アジアの植生を南北に二分する森林帯が両方とも手付かずで残っているのです。

平成の大合併によって誕生した新生・廿日市市が得た財産は非常に大きいと考えられます。両者とも、廿日市市の宝として、将来にわたって大切にしてゆきたいものです。

ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」

廿日市市宮島町(広島県)は、ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」のある町であり、その町域は、厳島(宮島)という一つの島(周囲約30㎞)とその周辺海域に限られています。

世界文化遺産「厳島神社」の構成資産には、本社本殿を中心とする厳島神社の建造物群に加えて、大鳥居のある前面の海、及び背後の弥山(みせん)原始林が含まれています(厳島全島の約14%)。

そして、それらを除く厳島全島が、緩衝地帯(バッファーゾーン)とされています。また、前面の海にも少しばかりの緩衝地帯が設けられています。もちろん、これらすべての地域は廿日市市宮島町に属しています。

弥山原始林(国指定の天然記念物、1929年指定)

弥山原始林は、「暖温帯常緑広葉樹林」(照葉樹林)で成り立っています。ただし、一般的な照葉樹林とはかなり趣が異なります。

例えば、南方系のミミズバイと針葉樹のモミが、同所で海岸部に見られることは、宮島以外ではまずお目にかかることのできない特異な現象とされています。ミミズバイは、広島などでは海岸沿いの暖かい場所にごくまれに見られます。これに対して、モミは本来、海抜500m前後の急傾斜地に見られる植物です。

ところで、世界文化遺産「厳島神社」の構成資産の範囲は、弥山原始林を含んで海岸部から弥山山頂部まで及んでいます。そこで、宮島弥山の登山道三本(紅葉谷コース、大聖院コース、そして大元コース)を登る場合、そのほとんど全ての範囲で、世界文化遺産「厳島神社」の中を行くことになります。

なお、本節「廿日市市の植生」については、シンポジウム「廿日市の宝―細見谷」(2003年8月16日)の中の、金井塚務「概説、暖温帯・瀬戸内から冷温帯・本州最西端のブナ帯へ ―世界的にも珍しいこの地域の特徴―」により初めて認識しました。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。


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