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“天涯の花”キレンゲショウマ

 2016/11/16 西中国山地(細見谷など)
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徳島県・剣山のキレンゲショウマは、宮尾登美子著『天涯の花』集英社(1998年)で注目を浴びるようになり、急斜面にある自生地周辺の登山道が整備されました。小説の初出は1996年8月25日~97年2月23日(徳島新聞連載)であり、NHKの土曜ドラマ放映(1999年11月)で、その人気は頂点に達した感があります。

キレンゲショウマと私

学生時代四年間を私は徳島で過ごしました。休日には徳島県内の山を中心に歩き回り、ホームグランドとしていた剣山(つるぎさん)には十数回登った経験があります。しかし、その当時キレンゲショウマが話題に上ることはありませんでした。まわりの誰も名前すら知らなかったのではないでしょうか。

その剣山に、2001年のお盆休みを利用して学生時代以来三十数年ぶりに登ることになりました。キレンゲショウマを見てみたいという母(大正10年生)の希望に沿ったもので、妻、次弟と一緒に登りました。花はちょうど見ごろ、皆で初めて見る”天涯の花”キレンゲショウマを大いに堪能しました。なお、これが80歳を目前にした母との初めての山行でした。

キレンゲショウマは、本州(紀伊半島)、四国、九州を貫く中央構造線の南側(西南日本外帯)の植物とされています。ところが、その北側(西南日本内帯)に属する広島県・十方山周辺にも、小さいながらも幾つかの群落があります。という訳で、学生時代を徳島で過ごした広島県出身の私にとって、キレンゲショウマは非常に気になる植物の一つとなっています。

キレンゲショウマの発見

キレンゲショウマは、日本の植物学史を考える上でも、非常に興味深い植物の一つです。参考書籍として、『土佐の博物誌』高知新聞社(1978年)と、『動く大地とその生物』東京大学出版会(1995年)の二冊を取り上げて、その内容を対比しながら見てみましょう。

キレンゲショウマについて、『土佐の博物誌』p.12は、「日本人により日本で発見され、日本で命名された初めての新属新種の植物である」と書いています。そして『動く大地とその生物』p.80は、「キレンゲショウマは東京大学の植物学の初代教授、矢田部良吉により、1890(明治23)年に記載公表された。これは、日本の学術出版物に日本人学者が発表した、最初の高等植物の属であった」としています。

『動く大地とその生物』p.83は、続けて次のようにまとめています。

キレンゲショウマ(Kirengeshoma palmata Yatabe)は、「(アジサイ科に属し)一種で一つの属を構成する、特異な植物である。明治21(1888)年8月9日に伊予国(愛媛県)石鎚山で矢田部良吉自身が採集した花期の標本(口絵、挿図1)と、同じ産地で明治23(1890)年10月に吉永虎馬が採集した果実期の標本に基づいて記載された」。

花期の標本(矢田部採集)は、東京大学総合研究博物館植物部門で保管されています。しかし、果実期の標本(吉永採集)は現存しないということです。

キレンゲショウマは日本初記載か

矢田部博士のキレンゲショウマ記載をもって、〈日本人として新種を最初に公表した論文である〉という表現は必ずしも正確ではありません。『動く大地とその生物』p.82は、日本人初記載ということについて、事実関係を次のように説明しています。

日本人として新種を最初に公表したのは、英国在学中の伊藤篤太郎であり、1887年(明治20年)にトガクシショウマを記載しています。日本の出版物に最初に新種を発表したのは、大久保三郎と牧野富太郎であり、1889年(明治22年)にヤマトグサを記載しています。矢田部自身、新属新種のキレンゲショウマを公表(1890年)する前に、シチョウゲ、ヒナザクラの2新種を記載しています(1890年)。

そしてその後、「日本からの新植物記載が盛んに行われ、全国規模で日本の植物相の全容がようやく判明し始めたのである」(同上p.82)。このことは、明治維新後20年という年月を経て、「日本の植物学者の間に日本の植物の分類は自らの手で解決せんとする気運が高まった」(同上p.82)こと、及び標本の整備等の条件が満たされてきたことを示しています。

キレンゲショウマは、そうした時代の空気を象徴する植物として、重要な位置を占めていると言ってよいでしょう。キレンゲショウマは、既述のように「日本の学術出版物に日本人学者が発表した、最初の高等植物の属」だったと言えます。(『動く大地とその生物』p.80)

発見者に異議あり

キレンゲショウマの発見に関して、『土佐の博物誌』p.126は、「発見者に異議あり」と題して、吉永虎馬(土佐の植物学者)の論文を引用してまとめています。

吉永論文によれば、吉永虎馬が石鎚山でキレンゲショウマを発見したのは、1888年8月3日(明治21)のことです。ちょうどその時、矢田部博士らが石鎚山に向かう途中であり、吉永は博士のもとに現物を持参して鑑定を請いました。博士も初見でしたが、レンゲショウマ(ウマノアシガタ科)に似ているので、”キレンゲショウマ”(黄花ノれんげしょうま)とでも言ったらよかろう、ということになりました。

その後、吉永は一行にお供して筒上から石鎚へ向かいます。その途中で再び同花を見つけて採集しました。しかし、吉永が最初に発見した石鎚山へは、博士一行の誰も行っていません。「それなのに、学会へは矢田部博士が、自ら石鎚山の標高五千フィート以上の疎林の中でこの植物を初めて発見-と報告。新種の命名者となった」のです。(『土佐の博物誌』p.126)。

なお、吉永の同郷(高岡郡佐川町出身)である牧野富太郎博士の添え書きも同論文に載っています。

植物区系とは何か

地球上のあらゆる地域の植物を全て調べ上げて、地域ごとに植物リストを作成してみると、ある特定の地域ごとにまとまった傾向を示すことが分かります。言い換えると、それぞれの地域ごとに違った傾向が見えてきます。それらの結果を基に、地球上を幾つかの地域に分けたものを植物区系と言っています。

世界の植物区系

世界の植物区系は、アジア・アフリカの”旧熱帯区系界”、新大陸の”新熱帯区系界”、北半球の熱帯以外の地域である”全北区系界”、及び南半球の”オーストラリア区系界”、”ケープ(南アフリカ)区系界”、”南極区系界”の合計6つに分けられます。(J.F.Schouw(1823)が提唱、その後H.G.A.エングラー(1886)が修正、それを基にしたL.Diels, R.Good (1947)のもの)

このことは、同じ熱帯でも、アジア・アフリカ大陸と南米大陸とでは、植物相(フロラ)に違いがあることを示しています。また、オーストラリアは大陸として隔絶されてからの期間が長いため、植物が独特の進化をとげたことを示しています。さらに、南アフリカ大陸先端部の喜望峰を含むケープ半島は、狭いながらも他と異なる特異な地域として認められています。

日本の植物区系

植物区系界は、それぞれが更にいくつかの植物区系に再分割されます。我が国の場合をみると、南西諸島は旧熱帯区系界の中の東南アジア区系に属しています。その他の地域(日本の大半)は、全北区系界の中の日華区系に属しています。

この日華区系は、「日本から中国中部を経てヒマラヤ東部に至る地域で、固有の科と属が地球上でここに最も多いことで注目される」地域です。(『動く大地とその生物』p.84)

日本列島の中はさらに細分化されおり、前川文夫・東京大学名誉教授は、日本を9つの区系地域に分けて示しています。(『日本の植物区系』pp.112-115)

その根底には、日本列島の成り立ち(古第三紀)、その後の陸地の移動あるいは火山活動など、地史との関連を基礎においた考え方があります。その中で、日本列島の骨組みを組み替えた大断層として、糸魚川-静岡構造線(その東側地帯がフォッサマグナ)と九州・四国・紀伊半島から関東へ抜ける中央構造線は重要な要素です。

キレンゲショウマの分布域

キレンゲショウマは、中央構造線南側(西南日本外帯)に沿って、紀伊半島(大峰山系)、四国(剣山系、石鎚山系)、九州(祖母・傾山系)に分布しています。そして、このキレンゲショウマの分布する地域のことを、”襲速紀(そはやき)地域”と言います。ただし、「広辞苑」最新版(第六版2008年)でもいまだに未収載です。

襲速紀という言葉は、「小泉源一博士の提唱(1931年)にかかるもので、この地域中での特色ある中心三ヶ所の頭文字を連ねて作られた」ものです。すなわち、襲速紀(そはやき)とは、南九州の古名である「熊襲(くまそ)」の”襲”、豊予海峡(九州・四国間)をさす「速吸瀬戸(はやみずのせと)」の”速”、「紀伊国(きいのくに)」の”紀”のことだそうです。(『日本の植物区系』p.128)

そはやき要素とは

前川文夫は、そはやき地域は「最も豊富なフロラが発達していて、多くの種はその近縁種を遠く中国大陸の西南部に持つ点でまことに特殊である。(中略)被子植物には多くの固有属あるいは準固有属または固有種が多く、それらは主にブナ帯かその下方のシイ-タブ帯の上部に集中的に見られる。たとえばユキノシタ科一つを採ってみても次の如く多数の例を挙げることができる」としています。(『日本の植物区系』pp.128-129)

前川は、キレンゲショウマ、ヤハズアジサイ、バイカアマチャ、ギンバイソウ、ワタナベソウ、センダイソウ、イワユキノシタ、チャルメルソウ(いずれもユキノシタ科)の名をあげて、それぞれ説明を加えています。

そはやき地域に色濃く存在する植物のことを、”そはやき要素”の植物と言います。小泉源一博士は、ちょうど100種のそうした植物を挙げており、前川はそれらに多少の種を加えた上で、50数種を”そはやき要素”の顕著な例として選び直しています。(『日本固有の植物』pp.162-163)

いずれにせよ、国内のその他地域の要素よりも圧倒的にその数は多く、ヒマラヤ、中国大陸に類縁種があるものも多く存在します。そはやき地域は、日本から中国大陸そしてヒマラヤに連なる日華区系における日本での中心を成していると言えます。

自生地の公開をめぐって

キレンゲショウマは、本来は中央構造線南側(西南日本外帯)の植物です。西南日本〈内帯〉の広島・島根県内では自生している可能性の少ない植物です。ところが、西中国山地で数箇所の群落が見つかっています。私はそのうちの一箇所を見たことがあります。その他、私がまだ見ぬあこがれの地があり、3年前(2003年前後)に地元大手新聞社で紹介されたということです。

現地は相当山慣れした人しか踏み込めない場所だと聞いていました。それが、最近ではロープを垂らして人の行き来を助けるようにまでなっていたようです。そして今年2006年8月に、インターネット(ブログ)に加えて、再び同新聞紙上で取り上げられたため、キレンゲショウマの自生地紹介をめぐって賛否両論、喧々囂々(けんけんごうごう)の大騒動になりました。

剣山では、キレンゲショウマ自生地の公開以来、盗掘が多くなったそうです。登山道や道路の整備が進むと、どこでも必ずと言っていいほど盗掘が問題となります。また、剣山では最近シカの食害が激しく、県や地元自治体ではキレンゲショウマ群生地をネットで囲んで、食害対策に乗り出しているとも聞きます。動植物のバランスをどう取るかも難しい問題です。

21世紀は環境の世紀、ヒトは地球上の全ての動植物をはじめとする豊かな環境の中でしか生き延びることはできない、という当たり前の感覚を幼い頃から養うための”環境教育”が求められています。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。


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