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不整脈にアブレーションが有効だった

 2017/06/02 団塊の世代一代記
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不整脈完治(カテーテルアブレーション実施)

2006年5月12日(金)に不整脈の治療を受けた結果、心電図上の異常は全くうそのように消失した。主治医からは、脂質代謝改善(病名:高脂血症)のためにも大いに運動をしなさいと勧められ、山歩きにお墨付きをもらった。今後体調とも相談しながら、以前のように”山野を駆け巡る”喜びに浸ることができる日も近いと思われる。
高周波カテーテルアブレーション(心筋焼灼術)

通常の山行にとって最も大切なこと、それは、無事下山することに尽きる。たとえ100%その目的を達することなく敗退したとしても、無事下山に勝るものはない。だからこそ、一旦山に入ったならば現在位置の確認作業をおろそかにすることはできない。そして、病気やけがによる事故等を防ぐことも大切である。そのために、特に中高年にとっては日ごろの体調管理が欠かせない。

心電図異常が1年近く続いた

ここしばらくの間、心電図上の異常には悩まされ続けた。1年近く前に、現場(広島)で健康診断を実施した結果が本社(大阪)から帰ってきて、異常を認めるとの認識を”かかりつけ医(脂質管理)”と共有するまでに、二か月近く経過してしまった。

それからしばらくして、もっと厳しく管理しましょうということになり、隣の診察室(心臓関係)に紹介された。しかし、そこでも薬には反応することなく、さらに別の専門医を紹介される。

紹介状を持って専門病院を訪ねたところ、即座に入院措置をすすめられ、連休明けを待って入院することになった。そして、結果は完璧なものであった。異常の発生から時間がたつほど治療は難しくなる(正常化は難しい)とのことであり、最終的にやっと間に合った恰好になった。

結局は人と人とのつながりによって結果を得ることができたということになる。そのほか直接間接に多くの先生方のお話をお聞きすることができた。感謝申し上げる次第です。

山行にドクターストップがかかって以来、多くの方々にご心配をおかけいたしました。異常が認められてから、フルパワーの80%程度の心臓の力だったものが、100%回復するとなれば、単純計算では25%のパワーアップとなります。主治医からもかなり楽になりますよ、と言われているので今後が楽しみです。

内服薬には反応しなかった

要するに、薬による治療には全く反応することなく、一種の外科的処置をすることによって、劇的に不都合が解消したということになります。そして、その処置は体力的な負担がほとんどないに等しい方法でした。薬をとるか、別の方策を立てるかは、それぞれのリスクがどの程度あるかにかかってきます。<専門医>による診断と<自分自身>の決断が求められます。

なお、症状が回復しなくて不都合なのは、心臓機能の低下そのものだけではありません。心機能が低下すると血栓ができやすくなり、その血栓が飛んで脳に移行する恐れがでてきます。実際に血栓が脳に飛んだ場合を脳塞栓(脳梗塞の一種)といい、言語障害その他の症状を生じて、正常な社会的活動は阻害される可能性が非常に高くなります。

入院治療(3泊4日)

2006年05月11日(木)

13:00前、一階総合受付、さっそく、胸部レントゲン写真、心電図
13:30過ぎ、5階南病棟553号室
血圧114/80、体温36.2度(全体を通して、血圧良好、体温35.8~36.5度)
薬確認、採血、心電図モニター装着、問診
15:00過ぎ、心エコー
18:00過ぎ、夕食後、主治医説明(病状、治療法について)
入浴、検査承諾書作成

2006年05月12日(金)

9:00頃、病室を出る(絶食)
手術室(確認のため、ご自分のお名前をおっしゃって下さい)
処置開始、左右の鼠径部からカテーテル2本(右静脈、左動脈)
経過期間が長く心房肥大、長さ4cm位で厚みのある筋肉に少し手間取る
電圧が高い場合があり、右肩や喉にかけて違和感、痛みあり
11:30頃、主な処置終了、その後しばらく様子をみて確認作業
12:30頃、術後抗生剤CEZ、鼠径部圧迫をして病室に戻る
13:30頃か?、遅い昼食(普通食ではあるが、両脚を動かせず完全介護)
「細見谷と十方山林道(2006年版)」刷り上りの差し入れ
14:30頃、圧迫緩める
16:50頃、圧迫とる
17:20頃、安静解除(朝9時から両脚を全く動かすことできず腰が痛い)
ベットに起き上がる、立ち上がって歩く(夕食に支障なし)
長女・孫二人(小5、小1)見舞い(紺のズボン、スカート、準制服制度?)
20:00前、点滴終了(2本のみ)、本日入浴なし

2006年05月13日(土)

9:00過ぎ、シャワー
8階喫茶室訪問、北面100m道路の向こうに広島平和記念資料館をみる
さらにその先には、原爆死没者慰霊碑そして原爆ドームが一直線に並ぶ
小雨の降る広島平和公園を、今日も多くの修学旅行生が訪れている
14:00、ボランティアコンサート、平塩清種さん(能美島出身)、1時間くらい
母見舞い
主治医より、4週間後を目安に逆紹介(紹介状は事前に郵送)
随分と早めに退院できそうだったが、家に帰ればパソコン処理に没頭することは間違いなく、辛抱して翌日までベット上で安静を保つことにした

参考

2006/04/21文部科学省に答申(重文指定)
広島平和記念資料館(1955年開館)、丹下健三設計
世界平和記念聖堂(1954年竣工)、村野藤吾(+近藤正志)設計
上記広島の2件は、いずれも戦後建築初の重要文化財(建造物)指定
(重文指定答申を期に、資料館~慰霊碑~ドームが一直線に並んだ所を、同病院屋上からみた写真が中国新聞紙上に掲載された)

2006年05月14日(日)

朝食後、午前中で退院(妻、長女、小1)
長男勤務先訪問、次期購入車種検討
帰宅


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